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「カルテット」松たか子の夫、宮藤官九郎の離婚 仕事を失うと、家庭も失う

カルテットの松たか子と宮藤官九郎の夫婦はなぜかとてもリアルでした。

それが二人の演技力の高さゆえなのか、相性の良さゆえなのか不明でしたが、日常的なシーンがすごく自然だった。

個人的には、バスローブを宮藤官九郎が松たか子の前でばっとはだけ(下には服を着ている)、松たか子がきゃっきゃと笑うシーンが好きでした。

いろんな事情を抱えてしまった二人のシーンということで、泣けて笑えた。

さて、ここで問題とするのは、宮藤官九郎が家庭を壊した理由。

そのオオモトは松たか子への愛情が欠けていったというものではなく(それもあるが)、宮藤官九郎がやりがいのある仕事を失ったからだと思います。

宮藤官九郎の役は現場で制作の仕事をしていたが(松たか子とも撮影で出会ったという設定でした)、本社での事務仕事に回されてしまうというもの。

じゃあ、これからは別の人生をということで、定時で帰れることを活かして、松たか子と夫婦二人で仲良く過ごすかということになりますが、この生活では仕事で得られていたような満足感は得られません。

それはそうだろう。種類が違うものだし。重さと長さを比べるようなものになってしまう。

これでは、絶対に満足なんて得られません。

宮藤官九郎は、手に入ってみると松たか子が意外に普通な女だったということで愛情を失っていくという話になっていましたが、自分の生活が色あせていく(仕事のやりがいがなくなっていく)ことと、その問題を混同してしまいます。

仕事で昔同様にやりがいを得ていたり、仕事に気持ちが向かっていたなら、松たか子との問題をこんなに凝視しなかったかもしれない。

凝視しなかったら、いつしかそれが自然なこととして受け入れられて、平凡だけど信頼のできる夫婦に移行していったのかもしれません。

実際の夫婦はそんなもんです。

この宮藤官九郎が離婚したいと思った原因が、実は松たか子の神聖が薄れたからではなく、自分が仕事のやりがいを失ったからだったというのがはっきりするのは、二人が離れてからです。

普通、ほんとにお互いにうんざりしていたのなら、別れたらせいせいするはず。

しかし、宮藤官九郎はそうはならず(松たか子も)、離れた連れ合いの幸せを願うようになります。

ここで「しまった、間違った」ということに気づくわけです。

バカですね。でも、とってもとってもありがちでやりがちなことです。

持っていたものを失った状態(宮藤官九郎の場合は仕事のやりがい。本人の中の喪失感はでかい)でしっちゃかめっちゃかになっているとき、人間はその原因がどこにあるのか、正しく把握して取り除くことができなくなってしまう。

もしくはどれもこれもが問題あるもののように感じてしまい、すべてを捨て、離れてしまいたくなる。

でも、どれもこれもを手放してみると、やっぱり手放してはいけなかったものの存在に気づくことになるのです。

人間って悲しい。年をとって、こーゆー過ちってやりがちだし、年をとっているからやり直しがきかない&やり直す気力がない。

会社の中の変化が激しい昨今、こういった離婚はますます増えると思います。

残業時間とか、目に見えやすい改革ばかりを会社は進めようとしていますがそんなことよりもっと取り組むことがあるのでは?

でも、この流れは止まらないでしょうね。

結果がはっきりと出て、世間に成果を提示しやすいことを会社はしたがるでしょうし。

「社員のためを考えてるよ、社員のためにやってるよ」と会社はアピールしてますが、ほんとのところ、人件費のカットです。

仕事が減ってきた、ずっと進めてきた効率化が功を奏してきた、そういった事情があるので、会社は社員を定時で返したいのです。

会社の偉い人たちの意識が変わった(人のためを考えるようになった)のではなく、数年かけて人件費を減らす準備ができたから、さあ、そっちの方向へ切り替えようというだけのもの。

会社の上の人たちの貪欲さは、出世の下手な平民たちの想像をはるかに超えます。

そんな人間たちが自分たちの損になる(利益が削られ、結果役員賞与が減る)ことを推し進めるはずはありません。

モンスターのように貪欲な会社経営者たちのエゴに振り回され、カルテットの宮藤官九郎がしたような離婚をする人がますます増えるのでしょう。

それでも人は働かないと生きていけない。

愛情と生活を両立させるのって、思った以上に困難です。