いい年なのにテレビっ子!

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おでんとおはぎ 第07話

 二人を乗せたエレベーターがぐんぐんと上昇していく。
 上に引かれているのに、若干体全体を上から抑えつけられるように感じるのはなぜなんだろう。
 止まらないエレベーターがかけてくる圧に若干の不快感を感じながらも、目は周囲の景色に釘付けになる。
 ガラスの箱からの眺めは最高だった。
「おおっ、すごい。この浮遊感。気持ちいー」
 二人しかいないエレベーターの中で洋子は声をあげた。
「ガラス張りのエレベーターって大好き、外が見えて」
「・・・」
 惣介からの反応がない。見ると、ガラス面から離れた入口のほうに立ち、こちらに背を向けている。
「どしたの? 何、そんな隅で。こっちで外見たらいいじゃない?」
「遠慮しとくわ。一人で楽しんで」
 惣介は広がり続けていく周囲の景色を見ようともしない。
「何? 怖いの? 高所恐怖症?」
「何だよ、楽しそうだな」惣介がいじけた声を出す。
「そんなことないわよ。そんな、人の不幸を」
「高所恐怖症じゃないの。高いところは平気だけど、エレベーターがだめなの。あ、耳が・・・」
 惣介が顔をしかめ、耳に手をあてる。
 子供のようだと思い、笑いがこみあげる。
「唾飲み込めば平気だよ」
 惣介がじっとこっちを見ている。
 確かに、我ながら身も蓋もない言い方だ。
「エレベーターの上がっていく感じがダメなの?」
 洋子は外を見ながら言った。
「そう」
「落ちる感じは?」
「もっとダメ」
 両方だめじゃん。
「へえー」
「なんだよ」
「なんでもないけど」
「久しぶりの景色、せいぜい楽しんでろよ」
「はーい」
 洋子はふてた惣介に背を向け、眼下に広がる景色を楽しんだ。
 エレベーターはまだまだあがっていく。
 ふいに名古屋で勤めていた病院を思い出した。
 病棟のちょうど中心あたり、くりぬかれたように存在する吹き抜けを上下する一基のガラス張りのエレベーターがあった。
 医師や看護婦、事務の者、患者たちを乗せ、せわしく上下する透明の箱。
 院内の人たちに見られながら、始終働く四角い物体。
 その箱に乗り教授たちが上階へと上がっていくのをよく下から眺めていた。
 教授たちはいつも暗く、怒ったような、疲れた顔をしていた。
 そして下のフロアの診察待ちの患者たちを見下ろしていた。その視線の冷たさを、なぜだか思い出した。
 自分もあんな顔をしていたのだろうか。
 エレベーターがゆっくりと止まり、ドアが開く。
「もう終わっちゃった。残念」
「長かったぁ・・・なんだよ。何見てんだよ」
「いや、別に。感性が鋭いって、ときに大変だね」
「・・・」
 嬉々として展望室へと進む洋子を惣介がとぼとぼと追いかけていく。

 展望室は光にあふれていた。
「うわー、すごい、明るいー」
 洋子はガラス張りの窓に駆け寄っていく。
 そして、ガラス窓の周囲をぐるりと囲んでいる腰高の柵に手をかけ、身を乗り出して、外を眺めた。
「すごい。たかーい。窓がひろーい」
「展望室だからな」
 惣介の声は暗い。エレベーターのショックだろうか
「そりゃ、そうだけど」
「さすがに遠くまで見えるな」
 洋子の隣に立ち、惣介も身を乗り出すように眺望を楽しみはじめる。
 高所恐怖症じゃないというのは本当らしい。
「あ、あっちが駅のあたりだ。井筒屋がある」
「だな。じゃ、あっちが八幡方面かな」
「え、逆じゃない?」
「え、うそ。井筒屋があるから、こっちが駅だろ。だったら・・・」
 惣介があちこちを指差しながら言う。
 ああ、こーゆーところがあったんだと洋子は思い出す。子供みたいで、どうでもいいことにこだわる面倒くさいところが。
「ま、いいじゃん、どっちでも。晴れてて良かったね。すごい遠くまで見える」
「うん、気持ちいーな」
 理屈っぽさをしのぐ長所は切り替えの早さだった。
 洋子は惣介を瞬間見上げ、眼下にひろがる街に目を遣る。
「うん、ほんと・・・きれい」
 病院の医局の派閥争い、椅子取りゲームは熾烈を極めた。
 そのため、三十を超える頃には、誰もが自分の進路について考えるようになる。
 病院での激務や出世争いよりも、家族との時間やゆったりとした穏やかな生活を望む者も出てくる。
 実家の病院を継ぐために地方に戻る者も少なくなかった。
 そんなふうに出世や研究を諦めた者たちが、病院を出て、散り散りに散らばっていった。
 一緒に働いた者を何人も送り出し、自分はどうしたらいいのだろうといつも思っていた。
 不安だった。 
 それを忘れさせてくれたのは、多忙さと仕事のプレッシャーだけだった。
「なあ」
「ん?」
「なんで帰ってくる気になったんだ」
「うん、まあ、いろいろ」
「そっか」
「なんか・・・・・・ちょっと疲れちゃったし」
「うん」
「父さんも、倒れちゃったし」
「そっか」
「さすがに親孝行したくなって」
「うん」
「でも・・・ううん、それだけじゃないかなあ」
 勤務していた外科は比較的実力主義だったが、それでも基本的に病院は男社会だ。
 それに外科の仕事は体力勝負。
 三十を超えると、身をもってそれを実感するようになった。
 洋子の場合は特に目の疲れが顕著になった。それが元で起こる深刻な肩こりや頭痛、首の痛みにも悩まされた。
 それでも続けられたのは、仕事で人を助けているという確かな実感があったからだ。
 そんな実感を得られる仕事は稀有だと思うから、それが更に洋子を悩ませた。 
 病院での仕事にやりがいや誇りも感じていたから、進路を決めあぐね続けたのだ。
 そんなときに父が倒れた。
 疲れ、迷い果てていた洋子にはそれが何らかの指針のように思えた。
 甘えかもしれない。
 都合のいい言い訳を手にして、結局は楽なほうに流れてしまっただけかもしれない。
 そんなふうに自分を責める気持ちが、どうしても流れずに、胸の中に澱のように溜まっていく。
「これまで散々好き勝手やって、里心がついたら、親のことを理由に帰省するなんて、最低だよね」
「そんなこと」
「ううん。そーゆーとこあるの。私、自分勝手なの」
「勝手な奴は、そんなこと気づかないで、親孝行ぶってるよ」
「そうだけど」
 そうかもしれないけど。
 自分の心はごまかせないのだった。
「いろいろあって、真っ白ってわけじゃないのは、誰だって同じだよ。仕方ないんじゃなくて、当たり前」
「・・・」
「で、おじさん、もういいのか?」
「うん。ちょっと足に麻痺が残ったけど、普通の生活には問題ないし、リハビリも頑張ってる」
「良かったな」
「うん」
 鼻の奥がツンとした。
 面に表れているとは思わなかったが、こんな顔を惣介に見られたくなかった。
「ちょっと、トイレ」
「うん」
 惣介に背を向け一歩踏み出す。
 目元に力が入り、涙があふれる。
「ほんと、遠くまで見えんなー」
 のんきに言う惣介の声を聞きながら、トイレへと歩を早めた。

 夜の街は、飲み屋の明かりと車の行き交う音に溢れている。
 そして、平日にしては大きな人波が惣介と洋子を包んでいた。
 洋子の動きは周囲の動きに比べ、少しスローで、それをサポートするように惣介が側に立っている。
「大丈夫か? 飲みすぎたんじゃないか」
「大丈夫、大丈夫。歩けるうちはぜんぜん大丈夫」
 洋子がごきげんで答える。
「どーゆー基準なんだよ」
 困ったように惣介の顔がゆがむ。
 それを見た洋子は楽しくて仕方ない。勢いづいた洋子は足を止めて、叫んだ。
「そうだっ!」
「なんだよ。ちょっと、変なところで止まるんじゃないよ。すみません。樋口、こっちこい」
 歩道の真ん中で仁王立ちした洋子を惣介が道端に引き寄せる。
 惣介の動きは緩慢で思いやりがあったが、それでも洋子は体勢を崩す。すかさず惣介が洋子を支えた。
 洋子は体の力を抜いて、惣介に自身のコントロールを任せた。
「って、人によっかかんじゃねえよ。ぜんぜん大丈夫じゃねえな、こりゃ」
「惣介が支えてくれること前提の大丈夫だもん」
 洋子がニヤついた。
「何言ってんだ、よっぱらい。ほら、ちゃんとして。人にひっつかない」
 惣介が洋子の体を押し返し、自立させようとする。
「やだ、離れたら立てない」洋子が惣介の腕にからみつく。
「なっ、おまえ」
 言って、惣介が硬直する。洋子が再度ニヤついた。
「やだ、照れてるー?」
「照れてって、おまえ、何言ってんだ」
 困ったように顔をしかめる惣介を見て、洋子が笑った。
「やだー、惣介、かわいー」
 洋子の声はでかくなる一方だ。
「おまえ、ちょっと、声がでかいよ。すんません、ほんとに。だから、止まんなって」
 道行く人に頭を下げながら、惣介が洋子を誘導するように歩き始める。
「冷たいなー」
 洋子が口をとがらせた。「何が冷たいだ、この酔っ払い」
「ふんっ」
 鼻を鳴らし、惣介から顔をそらすが、すぐにまた洋子は惣介のほうに顔を近づける。
「あ、そうそう、惣介、あそこ、行こう、あそこ」
「あそこ?」
「ほら、予備校の前の橋渡ったところに出る屋台」
「ああ、佐々木のおじさんのとこ?」
 惣介が口にした懐かしい名前に洋子の顔を大きく崩れた。
「そうそう、佐々木のおじさんだ。懐かしー。まだ、屋台やってんの、おじさん」
「やってる、やってる。おでんとおはぎが並んでる屋台って、テレビとかにも取り上げられたりして大人気だよ」
「そうなんだぁ。懐かしいなー」
 洋子の足が止まる。
「懐かしがってるのもいいけど、おまえ、歩け、な?」
 洋子が惣介にひきずられ、足を動かしはじめる。
「じゃ、行こうよ、おじさんとこ」
「いいけど・・・おまえ大丈夫か」
「もう飲まないから。おでんとおはぎ食べたいの」
「それならいいけど・・・俺は飲むぞ」
「裏切り者」
「裏切りって」
「ま、いいわ。じゃ、行こ、行こ。早くっ、早くおじさんに会いたいっ!」
 洋子は惣介の腕を引っ張り、駆けはじめる。
「おまえ、元気だなー」
 自分でもそう思う。
 いつからこんなふうに騒ぐことから離れてしまっていたのか、思い出せなかった。
「早く、早く」
 今度は惣介が引き摺られるようにして、二人は人波を歩いていく。


おでんとおはぎ